2012年10月4日木曜日

部屋とオプスレイと私。

愛する貴方の為~。

そう、愛する家族や友達が住む沖縄の為に!!
自分は安全が確保されていない、オスプレイ配備に反対します!!!


ってワケじゃないんですけどね。
いや、もちろんそれもあるけど。


部屋でIWJの基地封鎖の模様をライブで見て、数日経って、
今回のオスプレイ強制配備騒動についての、自分なりの考察とまとめを書き留めておこうと。




まずはオスプレイの安全性云々については、正直そこを争点にする事が違うかな、と。
安全性に関してはいろんなデータが散見されて、イマイチ判断しかねるし、
オスプレイに乗るのは米兵な訳で、もしオスプレイが事故って一番危ないのは米兵。
だから、米軍側も出来る限りの安全確保はするだろうと思うし。


問題は配備や運用に関して、


”住民の意思が反映されているか”


ということと、


”安全への配慮が成されているか”


ということ。



沖縄県議会や県内全議会が抗議決議した中での強行配備。
コレはもう明らかに県民の意思をおもっきりシカトしてる訳だし、
配備初日から飛ばないっつってた住宅地の上空を飛んでやってきたあたり、
もう沖縄県民の安全への配慮なんか微塵も感じない。


要は、ナメられてるワケだ。

アメリカに、そして日本政府に。


それはめちゃくちゃ腹立たしいけど、実際に止める手段を自分達は持っていなくて、
何故か同じ日本人、同じ県民である警察官に怒りをブツけたりしてしまう。


違う違う、そーうじゃ、そうじゃなーい~

それは愛じゃない~~



やっぱ戦う相手を見据えていかなきゃでしょう。


もっと根っこの部分を。


今回の普天間基地でのオスプレイ強制配備による基地閉鎖行動は、
結局は警察による強制排除、オスプレイも配備され運用されてしまうだろけど、
ただ、運用されたからといって、しゃーないねってワケにはいかない。

本当に配備運用が必要なのかを納得出来るまで追求し、
出来る限り安全性を高めるよう求め続けていく。
それを体制が怠るようなら、配備を解除するように求める。

そして高江ではまた新しいヘリパッドを造ろうとしていて、
住民の皆さんは(たしか)2007年からずっと抗議を続けている。


シンドいかもしれないけど、声を挙げ続けるしかない。




震災から原発事故があって、大飯原発再稼働の時や、
北九州瓦礫受入れの時、はたまた京都市長選や山口県知事選など、
今回だけじゃなくて、至る場面で自分ら”国民”は『敗北感』を味わったと一年半だったと思う。



この一年半で痛感させられたのは、
『あまりにも遠い政治』と、圧倒的に足りていない体制側の『説明と配慮』。

何故、こんなにも政治が遠いのか?

何故、こんなにも体制側が好き勝手出来ているのか?


今まで、我々が『無関心』だったからだ。

関心を持たず、勝手に政治をさせていたから、
その体制のまま、好き勝手やられてしまっているのだ。

まずは、『無関心だった罪』を反省しなきゃいけない。




でも、まだたった一年半。

戦後70年近くかけて築かれてしまっていたエセ民主主義を
(震災や原発事故という大きな出来事があったとはいえ)、
たかが数年でどうにかしようなんて、都合の良すぎる話だし。

だからこそ、これからは政治にも目を光らせ、積極的に参加し、
不満や不安には声を挙げ、時には戦う気概を持っていかなきゃいけないと思う。

一人だけでは何も出来ないかもしれないが、
一人が変わらなきゃ何も変わらない。

使い古された言葉だけど、言葉通りだからこそ使い続けられてるのも事実。


この時代のこのタイミングに、日本に生きていて、
もしかしたら大きな変化が起こるかもしれないというワクワク感が正直自分にはあって。

なるべくならその変化はイイ変化であって欲しいからこそ、
ホントーーーーーーーーーーーに微力ながら自分が信じられる動きに加担していきたい。

現在の混沌はある意味とてもスペクタクルな事だと思うし、
その混沌の瞬間を、ネットを介して部屋の中で目の当たりに出来たり、
その気になれば現場に行って生で感じる事だって出来る。

というか、なるべく現場に参加し体感して、
その瞬間瞬間の自分の意思を確認したい。

そして、その自分が味わった感覚を消化して、
自分の考えをこうやって部屋から世界に発信出来る。



今回のオスプレイをキッカケにして。

次に自分はどうするべきか。

離れた部屋からでも出来る事はないかを、

考えて、声を挙げて、動いて生きたい。


なにより自分が楽しく生きる為に。

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