この二つの記事を読んでの自分なりの考察を、
Twitterで書こうと思ったけど結構長くなりそうだったのでこちらに書いてみる。
自分がファッションに興味を持ち始めた思春期。
世の中はまさに裏原ブーム真っ只中だった。
NOWHEREのアンダーカバーとエイプに代表される、
ストリート発のドメスブランドが隆盛を極め、
どこかしらか入荷日を知ったニンゲン達はショップに行列を作り、
人気商品は即完売、そして転売へ~
と言った、いわば”裏原バブル”を雑誌やネットの向こう側の世界として憧れ、
沖縄にそれらのブランドが降りてくるのをチェックをするため、
足繁くストリート(国際通り周辺)に通い、各ブランドの新作を眺めては嬉々としていた。
今思うと、何故あんなに憧れていたのか?
改めて考えてみると、裏原カルチャーには”文脈”が確かにあった。
音楽との密接な関係性や、
スケーターやサーファー等の西海岸的なカルチャーとの繋がり、
親交の深いブランド同士の付き合いからまた新しいモノを生み出したり、
そしてそれらが、ストリートから産まれた、という物語性が一番の特徴であり、
自分を含めた少年たち(或いは少女たちまでも)に強力な訴求力をもたらし、
それはファッションというカタチでビジネス的成功を収めた。
そこから感じ取る非現実的現実感とでもいうか、つまりは、
『好きな事を仕事にしている』
『仲間たちと楽しくビジネスが成立している』
そういった大人達がいるという事を将来の自分の重ね合わせていたのだと思う。
間違いなく、自分はそうだった。
ファッション自体も、古着をベースにその時代性を付与したデザインのモノが多く、
自分の好きなカルチャーを着ている感覚を抱く事ができた。
そうやって、好きなカルチャーをバックボーンとしているブランドを好きになったり、
デザインから入ってそのブランドのバックボーンとしているカルチャーを掘り下げたりと、
ファッションがカルチャーの入口として機能していた。
「何故その服を着るのか?」
その理由付けは必ずしも要るモノではないし、
「カワイイから」の一言で済む話かもしれない。
でも、そうやって掘り下げていく事でお気に入りのTシャツがアートピースになったり、
履いているスニーカーが会話のキッカケになったりする。
そうなるとファッションは本来の体温やTPOの調整といった基本的役割の上に、
自己表現として昇華され、それは間違いなくコミュニケーションになる。
『ファッションとはコミュニケーションである。
そして、オシャレとは考える事である。』
これが自分の辿りついたファッションへの回答であり、
今後も生きていく限り続けていく娯楽の一つ。
その楽しみをくれた”裏原系”に、心から感謝と尊敬を込めて。